漆の木はアジア圏で幅広く生育している樹木です。
そこから取れる漆の樹液は、アジア圏で幅広く活用されてきましたが、日本ほど、文化や生活に密着した訳ではありません。
(漆の木。傷をつけ漆の樹液を採取します。採取の仕方は国によって違うようです)
なぜ、日本では、生活や文化と密に結びつき、漆器という文化が大きく芽生えたのでしょうか?
これは、一つの要因によるものではないと思います。
侘び寂びの文化と相性が良かった。
豪華絢爛な「蒔絵」が日本で発達し、特権階級(大名や貴族)に重宝された。
などあると思いますが、今回は「食文化」の部分から書いてみたいと思います。
日本の文化に大きな影響を与えてきた中国ですが、食文化は割と違う部分多いです。
箸を使う、お米を食べるなど共通する部分も多いですが、結構違いますよね。
その一つとして、器も違っています。
中世の頃、アジアの文化がシルクロードを経て盛んに輸出された時代、中国の磁器、日本の漆器が大変な人気だったようです。
そのことから、ヨーロッパでは、磁器のことをCHINA、漆器のことをJAPANと呼んでいました。
中国は陶磁器文化が栄え、日本では漆器の文化が栄えた。
原材料で言えば、「石」(磁器)と「木」(漆器)の違いです。
日本には木が豊富にあり、木の文化が栄えたと良く言われますが、これは本当でしょうか?
私は歴史や文化の研究家ではありませんので、突き詰めて研究をしたことはありませんが、中国にも木は豊富にありそうですし、世界中に木が豊かな国は沢山あるんじゃないかと思います。
私の調べたり学んできた範囲で書かせて頂くと、木の器がベースになったのは、木が豊富だからではなく、食文化の独自性からです。
もちろん、背景に木が豊富にあったということは前提だろうと思いますが。
前に「めし椀のススメ」でも書かせて頂きましたが、日本は「食器を手に取る数少ない食文化」の国と紹介しました。
器を手に取る唯一の国と聞いたこともありますし、私も他の国で見たこと無いのですから、本当に唯一の国かもしれませんし、相当に少数派の食文化であることは間違いありません。
ここで不思議なのは、「なぜ手に取る文化になったのか??」ということです。
これは、回答を先にしますと「テーブルを使う」「椅子に座る」という文化が根付かなかったからのようです。
日本で「テーブルを使う」という文化が根付いたのは、なんと明治以降とのこと。
明治以降も、椅子はなかなか根付かず、テーブルも座卓と呼ばれる畳の上の低いテーブルが主流でした。
世界中というと大袈裟かもしれませんが、文化的、地理的に密接な中国や韓国でもテーブルと椅子の生活をしていたなか、日本にはテーブルと椅子での生活が根付くことがありませんでした。
日本は歴史的に見て、文化や教養など著しく遅れていたという話はあまり聞きません。
文化的に遅れていたからテーブル文化が根付かなかった訳ではなく、理由は分かりませんが、テーブルを使うことなく明治時代まで進みました。
江戸時代で言えば、身分の高い、あるいは豪商のような立場の人達は「脚付きの膳」
一般的な家庭では、お盆やお膳を直接、床においていたようです。
これは何を意味するかと言うと、必然的に、器を手に持たないと、器と口までの距離が長すぎて食べられないということです。
また、器を手に取るとなると、器が熱くなると手に取れませんので、断熱性に優れた木の器がメインになったということです。
木の器をそのまま使うのは、カビてしまったり、染み込んでしまったりしてしまいますので、漆を塗ることとなり、こうして漆器が日本で大きく発展したと考えれています。
普段の生活で、何の意識もせず、我々は器を手に取り食事をしていますが、この文化が世界的に珍しく、また、それにより木の文化が発展したと思うと、ちょっと面白いですし、不思議な感覚になりますね。
今回は、日本で漆器が栄えた歴史的背景を「食文化」の面から考察してみました。
皆さまも食事の際に、改めて、歴史に根ざした木の器の良さを実感して頂ければと思います。
=過去の投稿=
0|プロローグ
1|めし椀のススメ
2|黒越誠治という男