サヨナラCOREDO室町

2021年1月、弊社の直営店の1つであった「COREDO室町店」が閉店となりました。
2014年3月にOPENしましたので、ほぼ7年、お世話になったことになります。
コロナ禍という過酷な経済環境の中で苦渋の決断でしたが、思い出深い店舗でしたのでコラムとして綴っておきたいと思います。

新店舗OPENの案内状の「遊び」版です。私の正座でのお出迎えを合成したものです。

出店の決断ポイント


三井不動産さまより、初期の計画段階から声をかけて頂けました。光栄なことです。
日本橋という場所柄、ファッションブランドの集積という商業施設というよりは、「ライフスタイル」を上質にするテナントを集めたい、その中核の一つとして誘致したいということで、内容的にも有り難いお話でありました。
しかしながら、費用などのこともございますが、「店舗を維持する売上を確保できるのか??」という不安は払拭できず、なかなか決断出来ずにいましたし、どちらかと言いますと「断る」方向に心が傾いていました。

幸い、漆器という、やや皆さまのライフスタイルから遠くなってしまった業態の中、基本的には毎年売上を伸ばすことが出来ていたのですが、そのような環境下でありましても、店舗を維持する売上を確保するイメージはハードルが高かったです。

8割方、断る方向に心は固まっていたタイミングでしたが、三井不動産の担当セクションの方とランチをする機会があり、このランチが転換のポイントでした。
場所は、出店場所と同じ「日本橋室町」にあるマンダリンオリエンタル・ホテル37階にある中華料理「SENSE(センス)」。
ここの料理は美味しかったのですが、料理の味で心変わりをした訳ではございません。笑
ここは、37階という高層であり、日本橋室町地区は高層ビルが少ないことから、かなりの絶景を謳っているレストランであり、実際、そこから見える景色は素晴らしいものがありました。
(現在は少々高層ビルも建ってきたの昔ほどではないのかもしれませんが)
絶景を楽しみつつ、目線をちょっと下にしてみると「無限にあるオフィスビル」の数々が飛び込んできました。
本当に無数に存在するという表現は大げさではなく、「オフィス街としての日本橋」としてのパワーを、数字ではなく、圧倒的な視覚で感じることになりました。

COREDO室町店のOPEN初日の画像

弊社は渋谷・代官山に本店を構えておりますので、商業地というよりは住宅地というイメージが強い場所であります。
また、東京でみれば西側の地区であり、東側からのアクセスも、やや難があります。
お客様は個人の方が中心ではありますが、多くの法人さまにも支えて頂いている事実もございます。

視覚から入ってくる圧倒的なオフィスビルの数々を見て、弊社の抱えていた多くの課題が解決するのではないかという発想に、一気に傾いた瞬間でした。
夜の会食でしたら、きっと下を見てもただの漆黒が広がっているだけじゃないかなと思います。
ランチではなかったら、この心境の変化は無かったかもしれないと思うと、実に面白く、心に残った事象です。

店舗デザイン

代官山本店は、好きな内装デザインですが、コンセプトとしては「現在の日常の空間の中にある漆器」という感じでして、イタリアB&Bの什器をメインにスタイリッシュやモダンという趣きです。
1990年ごろに作った店舗ですので、30年ほど前のコンセプト。
30年前は斬新であったと思いますが、現在においては、ややマンネリ感は否めません。
マンネリというよりも、類似したコンセプトのお店が多く、既視感があるという感じでしょうか。

代官山本店。B&Bの什器などを使いスタイリッシュでモダンな趣き。

COREDO室町店の内装デザインを考えるにあたり、代官山本店は、「洋の中の和」「洋の中の漆器」という見せ方に対し、「洗練された和」「現在の美しい和」の中で漆器を表現したいと考えました。

壁は左官仕事をして貰い、きちんとした塗り壁を作り、石畳のエントランスを設け、大きな巨石をシンボリックに飾る。
(最終的に巨石は、石の選定まで終わらせたのですが、重量規制に引っかかってしまい模造品に変更せざる得ませんでしたが。。)

エントランスの巨石と石畳

OPEN当時「漆のある空間」として、現在営業しております「Heiando Bar」はまだ開店しておらず、前々から漆のBARカウンターというコンセプトを実現したいと考えていましたので、ちょっと実用性を重視した作りにはしたのもの、漆塗りのカウンターを設け、接客カウンターとしました。
カウンターの後ろには金箔を大胆にあしらい、巨大な漆の看板を吊り下げ照明の機能も持たせました。

塗りの看板とカウンター、金箔の壁面。

坪当たりにの工事費は、普通の店舗に比べてだいぶ高くなった記憶が蘇りますが、やはり直営店は会社の顔であり、ブランディングの礎です。
「こだわり過ぎ」には注意しつつも、妥協なく作り上げ、思い入れの深い店舗デザイン、内装と仕上がりました。

サヨナラCOREDO室町店

平安堂は、流行に左右されにくい商売ではありますが、逆に、「新店舗OPEN!!」や「新しい商業施設OPEN!!」という話題がありましても、大きく売上が伸びるような商売でもありません。
今風に言えば、バズったりしにくい商売ですので、基本的なスタンスとしては、短期で出店費用を回収しようや、流行に乗って大きく売り上げようという発想がありません。
良くも悪くも、じっくりです。
ですので、COREDO室町店を出店する際も、感覚的には最低10年、出来ることであれば20年、50年というタームで商売をさせて頂き、お客様とのリレーションを築き、地域に根ざした店舗にしたいと思っていました。

リアル店舗の重要性は依然として大事に考えておりますが、急激なECへの移行が根底にあり、そして、日本を代表する商業施設「GINZA SIX」への出店、そして想像を遥かに超えるインパクトを与えた「コロナ禍」によるリアル店舗への大逆風。
この条件下で契約更新を迎え、苦渋の決断となる「退店」の決断となりました。

もう半年早く契約は終了していたのですが、年末商戦に残って欲しいという要望があり、弊社も重箱を始めとするお正月道具を見て頂く場を失うのは忍びないと思う部分もありましたので、2021年1月末で退店という判断を致しました。
コロナ禍も少しは収まっているかなという希望的観測もありましたが、残念ながらさして好転もせずでしたので、この半年間の延長は経営的には重荷となった部分はございましたが、それでも多くのお客様に「迎春に向けた漆器の数々」を見て頂けましたので良かったかなと思う部分もございます。

緊急事態宣言が発令中の中で最終日を迎える形となりましたし、平安堂そのものが無くなる話ではなく、思い入れがあるとは言え、ドライに言えば1店舗を閉めるだけの話ですので、大々的な閉店SALEを開催することもなく、粛々と1月29日を迎えました。

最後に

平安堂は、1919年に日本橋で創業をしましたので、日本橋はルーツであり原点である街でもあります。
店舗デザインへの思い入れを中心に書かせて頂きましたが、「創業の地に戻った」という感情的な思い入れもございました。
渋谷・代官山に本店を移し四半世紀が過ぎていたものの、COREDO室町に出店した際は、お客様や地元の方々から「平安堂が日本橋に戻ってきた!!」と喜んでいただけ、多くの声をかけて頂けましたので、やはり、平安堂にとり「日本橋」というのは故郷なんだなと実感したりもしていました。

最終営業日に撮影しました。吊り下げた看板の廃棄処分が残念です。。

「また日本橋に戻っておいで」
という温かなお言葉も多数頂きました。

こればかりは確約できるお話ではなく、次の出店は日本橋なのかもしれませんが、大阪や名古屋などかもしれませんし、海外なのかもしれません。
直営店を増やすことなく、現在の直営店とECを突き詰めてくことも充分にあり得ます。
しかしながら、僅か7年ではありましたが、故郷「日本橋」に里帰りをすることができ、日本橋を知らなかった私も創業の地・日本橋を知ることが出来ました。
ここでの「温かな経験」を大事に、社業の発展に務めたいと思います。

最後に、COREDO室町店を支えて下さった、三井不動産を始めとする関係者の皆さま、日本橋の皆さま、そして何より、多くのお客様に感謝をお伝えしたいと思います。
皆さま全員に直接伝えることが出来ませんでしたので、この場をお借りしたいと思います。
「ありがとうございました」

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ABOUTこの記事をかいた人

漆器 山田平安堂とHeiando Barの代表取締役。 昔はお酒が飲めなかったのに、今ではお酒マニア。 漆器とお酒の魅力を伝えます!